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美濃部憲法学を読む

帝国憲法から日本国憲法まで、「日本の憲法」について考えるブログです。

『憲法講話』1-2 政体の種類 政体と国体

『憲法講話』原文

 政体と国体

 最後に今一つ述べて置きたいと思ふのは国体といふ語であります。普通に能く国体といふことゝ政体といふことゝを区別して、国体は何人が統治権の主体で有るかに依るの区別で、政体は其の統治権を行ふ方法の異なるに依るの区別であるとして居りまして、国体には君主国体と共和国体との区別があり、政体には専制政体と立憲政体との区別があるとして居る説があります。

 此の説は頗る広く行はれて居りまして、中等教育の法制教科書などには多くは此の説に依つて居るやうでありますが、私は此の説を以て断じて誤であると信じて居ります。此の説に依ると、国体といふことゝ政体といふことゝは全く別の観念で、君主政体といひ共和政体といふのは、其の実政体の区別ではなくして国体の区別であるといふのであります。勿論政体といつても国体といつても、唯名称の違ひに止まるのみならば、何れの名を用ゐても、一向差支は無い訳でありますが、此の説を唱へて居る人は、唯名称の違ひに止まらず、観念の相違であるとして居るので、即ち君主国と共和国との区別は単に統治権を行ふ機関の区別たるに止まらず、統治権の主体の区別であるとして居るのであります。

 即ち君主国に於ては君主が統治権の主体であり、共和国に於ては国民が統治権の主体であるとして居るので、之に反して立憲政体とか専制政体とかいふのは、唯其の統治権を行ふに付いての機関の組織の区別に過ぎないから、是は単に政体の区別に過ぎない、君主国と共和国との区別とは全く其の区別の生ずる標準を異にして居るもので、之を同じ政体といふ語を以て言ひ表はすのは不当であるといふのであります。随て此の説に依ると日本の如きは君主国体であつて而して立憲政体である、一口に立憲君主政体といふことは出来ない訳で、立憲政体的君主国体と言はねばならぬことゝなるのであります。

 此の説は色々の点に於て大なる誤を含んで居るものでありますが、殊に君主国に於ては君主が統治権の主体であり、共和国に於ては国民が統治権の主体であるとするのは、其の根本の誤謬であります。此の事は尚後に述べる積でありますが、国家が一の権力団体であるといふことは君主国も共和国も全く同様であつて、其の権力は国家といふ共同団体其れ自身に属して居るものと見るべきものであります。

 国家其れ自身が統治権の主体たるもので、君主国も民主国も此の点に於ては同様であります。君主国と共和国との区別は専ら此の統治権を行ふ機関が異なるに依つて生ずるの区別で、決して統治権の主体の如何に依るの区別ではない。之を国体と言つても又は政体と言つても名前は何らでも宜い訳でありますが、唯国体といふ語は、従来一般に国家の成り立ちといふほどの広い意味に用ゐられて居るのが通常で、教育勅語の中にも『是我が国体の精華にして』云々といふ語がありますが、是は決して君主国体とかいふやうなことを意味して居るのでないことは勿論であります。それであるから国体といふ語を政体と同じ意味に使ふことは、混雑を惹き起す虞があつて、寧ろ避けた方が正しいであらうと思ひます。

 それは何れにしても、君主国と民主国とは統治権の主体の区別であるとするのは全く誤であります。それに尚をかしいことは、此の説に依ると政体には立憲政体と専制政体との二種類があるものとして居つて、君主国体にも立憲政体と専制政体との二種があり、民主国体にも同じく此の二種類があるとして居ることであります。

 併ながら前にも申す通り専制政体に対するものは必ずしも立憲政体には限らないので、殊に封建制度の下に於ては君主の大権は甚しく制限せられて居つて、勿論立憲政体ではないが又決して専制政体を以て目すべきものでない。加之、民主国に立憲政体と専制政体とを区別するも頗る変な話であります。専制政体といふのは一人又は少数の人が国家の全権を握つて全国民を支配して居る場合をいふので、民主国即ち国民の全体が全権を握つて居る場合に専制政体といふものが有り得べき筈はない。専制民主国といふのは其の語自身に既に矛盾である。中等教育の教科書に斯の如き誤つた説を掲けて居るものゝ少なくないのは、甚だ遺憾とする処でありますから、一言付け加へて置くのであります。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正元年)p45-48

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。