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美濃部憲法学を読む

帝国憲法から日本国憲法まで、「日本の憲法」について考えるブログです。

『憲法講話』1-2 政体の種類 1.政体の意義

『憲法講話』原文

 二 政体の種類

 

 政体の意義

 総ての国家には必ず一定の政体がある。政体といふのは、簡単に言へば、国家機関の組織といふことであります。国家には必ず種々の国家の機関が有ることは、前にも述べた通りで、此等の機関が有るに依つて、始めて国家が国家として活動し存在して行くことが出来るのであります。

 国家に政体の区別の在るのは此等の国家の機関の組織が各国いろいろに異つて居ることから生ずる区別であります。国家の機関の組織は、多くは各国の歴史上の事情に依つて定まるもので、各国は各々其の歴史を異にして居るから、随て又其の機関の組織も各国それぞれ相異つて居つて、何れの二国と雖も全く同一の組織を為して居るものは無い。斯く国家機関の組織に異同が有る為に、国家に政体の区別を生ずるのであります。

 

 政体の二大種類

 国家の政体は、此の如く各国尽く相異なつて居るもので、同じ国家でも時代に依つて常に変遷して居るものであるから、若し精細に之を分類するとなれば、到底其の種類を列記し尽くすことは出来ない程であります。けれども若し細目に於ける異同を去つて、唯極めて大体に就いて之を区別するならば、国家の政体は、先づ之を君主政体共和政体との二種に大別することが出来ます。

 君主政体と共和政体との区別は国家最高機関の組織如何に依るの区別であります。国家の機関は其の種類極めて多様でありますが、其の無数の国家の機関の中には必ず或る一の機関が国家の最高の地位に在つて国家の総ての活動は皆此の最高機関に其の原動力を発する者がなければならぬ。人間に譬へて言はゞ恰も頭脳の如きもので、人間の各種の機関の活動は皆其の源を頭脳から発して居るのであります。此の如き国家の最高の地位にある機関を、国家の最高機関といふので、通俗に主権者と言ひ慣はして居るのは、即ち此の最高機関の事を謂ふのに外ならぬのであります。

 此の最高機関の地位に在る者は国に依つて或は一人であることもあり或は多数人の合議体であることもある君主政体と共和政体との区別は之に依つて生ずる区別で即ち最高機関の地位に当る者が一人であれば之を君主政体の国といひ多数人が相集まつて合議体を為し其の合議の結果が国家の総ての活動の原動力を為して居る国は共和政体の国といふのであります

 君主政体と共和政体との区別は、其の最も純粋の形に於ては容易に分つことが出来る。最も純粋なる君主政体と言へば、君主唯一人で国家の権力の総てを掌握して居る政体を言ふのであります。勿論君主が一人で、総ての事務を行ひ、総ての事を決定することは実際に出来ることではありませんが、君主の下に多くの機関があつて、其の命の下に事務を分掌して居るのは、等しく純粋の君主政体たることを妨げないのであります。此等総ての他の機関は皆君主の下に立ち、君主の命を受けて其の事務を分掌して居るもので、皆君主の機関たるものであるから、尚君主が唯一人で総ての権力を掌握して居るものといふことが出来るのであります。

 最も純粋な共和政体といふものは、国家を組織して居る総ての国民が相集まつて国の政治を議し、其の合議の結果に依りて国家の総ての活動が行はれて行く政体をいふのであります。

 最も純粋の君主政体と、最も純粋の共和政体とは、此の如く其の区別は甚だ判明であるが、此の如き純粋の君主政又は純粋の共和政は、唯比較的幼稚な単純な社会に於てのみ行はれ得べきもので、稍発達した国家に於ては行はれ難い所である。君主が他の機関からは少しの制限をも受けず、任意に総ての国政を行ひ、君意が即ち国法なりといふやうな有様は、最早遠く過ぎ去つた時代の事で、個人の自由が尊重せられ、国民の自覚心の起つて来た時代に於ては、到底行はるべき所ではない。純粋の共和政も亦同様で、稍大なる国家に在つては、総ての人民が一個所に集まつて自ら事を相談することは、是も実際に行ふべからざる所である。

 それであるから、近代の諸国に於ては、此の如き意味に於ての純粋の君主政体を取り、又は純粋の共和政体を取つて居る国は、寧ろ稀でありまして、君主政体の国であつても多少は共和政に近い要素を含んで居り、共和政体の国であつても多少は君主政の要素を含んで居るのであります。随て君主政体と共和政体とは互に相接近して、其の間の区別は必ずしも明瞭ならざるに至つたのであります。

 即ち共和政体の国でも、大統領といふものが有つて、其の大統領が稍君主に近い権力を有つて居るし、君主政体の国でも君主の外に国会が有つて、国政に与かるの権を有つて居り、其の点に於ては稍共和政に近い要素が含まれて居るのでありまして、其の間の区別は最早最も純粋の君主政と共和政との区別の如く、一人で国家権力の総てを掌握して居ると否とに、之を求めることは出来ないのであります。

 君主政と共和政との区別は此の如く必ずしも判明疑を容れぬものではないので、随て又其の区別の標準に付いては種々の異説が有るのであります。国に依つては其の国が君主政の国であるか又は共和政の国であるかに付てすらも、議論が甚だ分たれて居るものが少くない程で、例へば白耳義の如きは或は君主国であるといふ者も有り、或は民主国即ち共和国であるといふ者も有る。白耳義の憲法中には明に主権は国民に属すと書いてあつて、此の規定の有る為めに、其の民主国であることは明瞭であるとする者もありますが、実際は白耳義には国王が有つて、其の国王は他の君主国に於ける国王と同様の権力を有し同様の地位を有して居るのであるから、等しく君主国といふべきものとなして居る学者も有ります。

 独逸帝国の如きも或は共和国とする人も有り或は君主国とする人も有るし、英吉利も亦同様で、国王は唯名目上の主権者たるのみで、実際は国民が主権者であるとなして居る学者も少なくない。

 君主政体と共和政体との区別は此の如く決して或る一人が国家権力の総てを掌握して居るか否かに之を求めることは出来ぬのであります若し君主が一人で国家の総ての権力を掌握して居ることを君主政体の特色とするならば君主政体の国は今日の世界には殆ど全く無いと言はねばならぬ日本も亦少くとも政権が武門の手に帰してから以来は君主政体たることを失つたと言はねばならぬ結果となるのであります其の誤謬たることは言ふ迄も無い事で君主が一人で国家権力の全部を掌握することは決して君主政体の要素ではないのであります

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p26-32

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。