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美濃部憲法学を読む

帝国憲法から日本国憲法まで、「日本の憲法」について考えるブログです。

『憲法講話』1-1 国家の性質 7.「主権」の語の3つの意味

『憲法講話』原文

 主権の三種の意義

 統治権の事を述ぶる序に、主権といふ語に付て一言して置きます。主権といふ語は、従来色々の意味に用ゐられて居りまして、往々混同を生ずるの虞があります。

 主権といふ語は、本来英語の「ソヴェレヌチー」といふ語を訳したので、「ソヴェレヌチー」といふのは、本来は「スプリームネッス」、即ち『最高』とか『至上』とかいふ意味であります。前に述べた通り、国家は最高の権力を有つて居るもので、即ち自分以上に自分を支配する権力の無いものでありますから、此の性質を現はすが為に、国家の権力は「ソヴェレン」である、「スプリーム」である、最高であるといふのであります、即ち主権といふことは最高権といふことの意味で、詳しく言へば、自己の意思に反して他より制限を受けざる力といふことであります

 然るに主権といふ語は、又一転して統治権といふ語と同じ意味に用ゐらるゝことが普通でありまして、通俗には統治権といふよりも、主権といふ方が広く行はれて居るやうであります。併ながら最高権といふことと統治権といふこととはまるで違つた意味で之を混同せぬやうに注意することが甚だ必要であります統治権といふのは人に命令し強制するの権利であり、最高権といふのは、他から命令せられない力をいふのであります。主権といふ語が、常に統治権と同じ意味に用ゐらるゝことは、現時の一般の慣例でありますから、強ひて之を排斥するにも及ばぬことでありますが、唯此の意味に於ての主権即ち統治権は、本来の意味に於ての主権即ち最高権といふこととは違つた意味であることを、忘れてはならぬのであります。

 主権といふ語は、更に又第三の違つた意味に用ゐらるることが、是も極めて普通であります。それは、国家内に於て最高の地位に在る機関の事を言ひ現はす為に用ゐらるゝ場合で、或は君主は主権者であると言つたり、或は主権は国民に属すと言つたりするやうなのを謂ふのであります。是も極めて普通に用ゐられて居る用例で、西洋の諸国の憲法には、憲法の明文の中に、主権は国民に属すとか、君主に属すとかいふことを規定して居るものも少なくないし、普通の日本語としても、君主が主権者であるといふことは、常に用ゐられて居る語であります。

 併ながら、此の意味に於ける主権は、前に述べた第一の意味又は第二の意味の主権とは、全く異つた意義に用ゐられて居るもので、此の場合の主権といふのは、唯国家内に於ける最高機関の地位を言ふのであります。

 前に述べた第一の意義の主権は、国家の権力其れ自身が最高であることを言ひ表はすのであるが、此の第三の意義に於ての主権は、国家内に於て何人が最高の地位に在るかを言ひ表はすもので、主権が国民に属すといふのは、国民が国家の最高機関であることを言ふのであり、君主が主権者であるといふのは、君主が国家内に於て最高の地位に在ることを言ふのであります。

 此の意味に於ての主権は、又第二の意味の主権即ち統治権といふ意味とも全く違つたもので、君主が主権者であるといふのは、決して君主が統治権の主体であるといふ意味ではない。統治権は国家の権利であつて、君主の権利でもなく国民の権利でもない、統治権は国家といふ全団体の共同目的を達するが為めに存する所の権利で、其の団体自身が統治権の主体と認むべきことは、当然であります。

 君主が主権者であるといふのは、唯君主が国家の最高機関であつて、国家内に於て最高の地位を有する者であることを意味するものと解すべきであります。主権者といふ語は、極めて普通な語でありますから、其の語を使用するのは、敢て差支は無いが、唯其の意味を正解することが必要で、決して統治権の主体といふ意味に解してはならぬのであります。

 国家の性質に付いての説明は、是位にして置いて、次に政体といふことに付いて、説明いたします。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p23-26

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。