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美濃部憲法学を読む

帝国憲法から日本国憲法まで、「日本の憲法」について考えるブログです。

『憲法講話』1-1 国家の性質 1.国家は何であるか/国家の本質に付きての二種の見解

『憲法講話』原文

 第一講 国家及政体

 

 今日から約十回に亘つて、帝国憲法の大要に付いて、お話を致すこととなりましたのは、私の甚だ光栄とする所であります。

 憲法といふのは、一口に申せば政体の法則と云つても宜い位で、其の規定の最も重なるものは国の政体に関する事柄でありますから、憲法のお話をするには、先づ政体とは何であるかといふことを、明白にすることが必要であるし、而して政体の事を論ずるには、先づ国家といふ観念を明にしなければならぬ。

 それで今日は、先づ此の二の問題、即ち国家及び政体の事に付いて、説明しようと思ひます。

 

 一 国家の性質

                               

 国家は何であるか

 第一に述ぶべきことは、国家とは何であるかといふ問題であります。是に付ては古来幾多の学説があつて、今日に至つても尚異説紛々たるものがあります。

 何故に此の如く学説が区々に分かれて居るかと言へば、それは国家といふものの本質上、自然科学に於けるように、客観的の実験に依つて、絶対の真理を証明し得べきものではないからであります。国家は自然科学上の現象とは異つて多数の人々の複雑な心理作用に基いて出来て居るもので、随て国家の本質を研究するには、例へば動物学者が動物を研究したり、物理学者が物理の実験をしたりするやうな、客観的に事実を観察するだけで、解釈することの出来る問題ではなく、事実を観察する外に、其の事実に就いて主観的に考察する必要が有る。

 而して既に主観的の考察といふ以上は、人々の考へ方の如何に依つて意見の相違を生ずることは、已むを得ない所で、問題は唯如何なる考へ方が正当であるか、如何なる考へ方が最も完全にその事実を説明することが出来るかといふに在る。更に語を換へて言へば、国家は何であるかの問題は、畢竟国家は何であると考へるべきかの問題に外ならぬのであります。

 

 国家の本質に付きての二種の見解

 国家の本質に付いては、古来種々の見解が行はれて居ります。大体に就いて申すと、其の考へ方には、凡そ二種の傾向がある。その一は国家を以て君主の持ち物の如くに考へる思想で、一は国家を以て国民の共同団結として考へる思想であります。言ひ換ふれば一は天下は一人の天下なりとする思想と、一は天下は天下の天下なりとする思想とであります。此の二種の思想は古来種々の人々に依つて種々の形に於て現はれて居る。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p1-3

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。