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美濃部憲法学を読む

帝国憲法から日本国憲法まで、「日本の憲法」について考えるブログです。

『憲法講話』1-2 政体の種類 2.君主政と共和政の特色

『憲法講話』原文

 君主政の特色

 君主政体の特色は自分の見る所に依ると国家の最高の意思が或る一人の人の決定する所に係り又は少くとも或る一人の同意を得なければ成立しないといふことに在ると思ふ。国家の最高の意思といふのは、国家の総ての活動の最高の源となるべき意思を謂ふのであります。

 若し成文の憲法を有する国であるならば、憲法が国家の最高の意思たることは言ふ迄も無いから、其の憲法を制定し又は改廃するの力が或る一人にのみ属し、又は或る一人の同意を得なければ之を決することが出来ぬ場合に於ては、其の国は君主政体の国であります。

 其の外、国政の実行の任に当つて居る大臣其の他の大官を任命するの権とか、国政の議決の任に当つて居る国会を召集するの権とかいふものは、何れも等しく国家の最高の意思たるべきもので、国家の活動の最高の源たるものであるから、此等の力が君主から出て居ることは以て君主国の特色となすべきものであります。

 

 歴史上に於ける帝国の政体

 之を我が国の古来の歴史に就いて見ても、国家の権力は長い間殆んど全く幕府の手に移つて、軍事上の権力も政治上の権力も、殆ど凡て幕府に依つて行はれ、朝廷は殆ど唯虚器を擁するに止るの有様であつたけれども、其れでも尚将軍宣下の権は朝廷に属して居つたので、天皇から征夷大将軍に任ぜられ、其の御委任を受けて始めて其れ等総ての権力を行ふことが出来たのである。権力の最高の源は尚常に天皇に在つたので、将軍の幕府は唯其の御委任に依つて元来天皇に属して居る権力を天皇の名に於て行つたものに外ならぬのであります。

 今日の有様に就いて見ても、国家の権力の全部が天皇御一人に属し、御一人の御随意に総ての政治を行はせ給ふといふのでないことは勿論である。法律を作るには国会の議決を経なければならぬ、裁判を為すには裁判所の独立の権限に依るのであつて、勅旨を以ても大赦特赦等に依るの外之を動かすことは出来ぬ、行政に付いても大臣の同意が必要で、天皇の御勝手に遊ばさるゝのでは決してない。

 けれども此等総ての制限に拘らず、国家の最高権力は尚常に天皇御一人に在るのであつて、法律は国会の議決を要するのであるけれども、其の国会自身は天皇の召集があつて始めて開会することが出来るものであり、法律も亦天皇の御裁可を得ねば成立することは出来ぬ。裁判所及び大臣は何れも天皇の任命に依つて、始めて其の地位に就き、其の権限を得るのであつて、其の権力の源泉は何れも天皇に在ることは言ふ迄もない。我が国が古今常に君主政体の国であるといふのは斯の如き理由に依るのであります。

 

 共和政の特色

 共和政体は之とは全く趣を異にして居る、共和国にも大統領といふものがあつて、稍君主に類した地位を有つて居りますけれども、大統領は決して国家の最高の機関たるものではない。大統領は国民から選挙せられて其の地位に就き、国民の委任に依つて其の権力を行ふ者で、其の権力の源は大統領自身に在るのではなく、国民に在るのであります。

 加之、大統領と国会との関係に付いて見ても、国会は大統領の招集を待たず自ら集会するの権を有つて居るし、法律を制定するのでも、憲法を改正するのでも、大統領は唯不認可権を行つて之を再議に附するの権があるばかりで、国会が尚堅く其の決議を固守する場合には、大統領の同意なくとも国会の議決だけで、法律を作り憲法を変更することが出来るのであります。其の君主国に於ける君主と全く地位を異にして居ることは明瞭であります。

 

 政体の再別

 君主政体と共和政体との区別は政体の最も根本的の区別でありますが、此の二大種類の中にも更に種々の体様があります。同じく君主政体の中にも種々の種類があるし、同じく共和政体と言つても其の種類は又非常に多いのである。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p32-35

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。 

『憲法講話』1-2 政体の種類 1.政体の意義

『憲法講話』原文

 二 政体の種類

 

 政体の意義

 総ての国家には必ず一定の政体がある。政体といふのは、簡単に言へば、国家機関の組織といふことであります。国家には必ず種々の国家の機関が有ることは、前にも述べた通りで、此等の機関が有るに依つて、始めて国家が国家として活動し存在して行くことが出来るのであります。

 国家に政体の区別の在るのは此等の国家の機関の組織が各国いろいろに異つて居ることから生ずる区別であります。国家の機関の組織は、多くは各国の歴史上の事情に依つて定まるもので、各国は各々其の歴史を異にして居るから、随て又其の機関の組織も各国それぞれ相異つて居つて、何れの二国と雖も全く同一の組織を為して居るものは無い。斯く国家機関の組織に異同が有る為に、国家に政体の区別を生ずるのであります。

 

 政体の二大種類

 国家の政体は、此の如く各国尽く相異なつて居るもので、同じ国家でも時代に依つて常に変遷して居るものであるから、若し精細に之を分類するとなれば、到底其の種類を列記し尽くすことは出来ない程であります。けれども若し細目に於ける異同を去つて、唯極めて大体に就いて之を区別するならば、国家の政体は、先づ之を君主政体共和政体との二種に大別することが出来ます。

 君主政体と共和政体との区別は国家最高機関の組織如何に依るの区別であります。国家の機関は其の種類極めて多様でありますが、其の無数の国家の機関の中には必ず或る一の機関が国家の最高の地位に在つて国家の総ての活動は皆此の最高機関に其の原動力を発する者がなければならぬ。人間に譬へて言はゞ恰も頭脳の如きもので、人間の各種の機関の活動は皆其の源を頭脳から発して居るのであります。此の如き国家の最高の地位にある機関を、国家の最高機関といふので、通俗に主権者と言ひ慣はして居るのは、即ち此の最高機関の事を謂ふのに外ならぬのであります。

 此の最高機関の地位に在る者は国に依つて或は一人であることもあり或は多数人の合議体であることもある君主政体と共和政体との区別は之に依つて生ずる区別で即ち最高機関の地位に当る者が一人であれば之を君主政体の国といひ多数人が相集まつて合議体を為し其の合議の結果が国家の総ての活動の原動力を為して居る国は共和政体の国といふのであります

 君主政体と共和政体との区別は、其の最も純粋の形に於ては容易に分つことが出来る。最も純粋なる君主政体と言へば、君主唯一人で国家の権力の総てを掌握して居る政体を言ふのであります。勿論君主が一人で、総ての事務を行ひ、総ての事を決定することは実際に出来ることではありませんが、君主の下に多くの機関があつて、其の命の下に事務を分掌して居るのは、等しく純粋の君主政体たることを妨げないのであります。此等総ての他の機関は皆君主の下に立ち、君主の命を受けて其の事務を分掌して居るもので、皆君主の機関たるものであるから、尚君主が唯一人で総ての権力を掌握して居るものといふことが出来るのであります。

 最も純粋な共和政体といふものは、国家を組織して居る総ての国民が相集まつて国の政治を議し、其の合議の結果に依りて国家の総ての活動が行はれて行く政体をいふのであります。

 最も純粋の君主政体と、最も純粋の共和政体とは、此の如く其の区別は甚だ判明であるが、此の如き純粋の君主政又は純粋の共和政は、唯比較的幼稚な単純な社会に於てのみ行はれ得べきもので、稍発達した国家に於ては行はれ難い所である。君主が他の機関からは少しの制限をも受けず、任意に総ての国政を行ひ、君意が即ち国法なりといふやうな有様は、最早遠く過ぎ去つた時代の事で、個人の自由が尊重せられ、国民の自覚心の起つて来た時代に於ては、到底行はるべき所ではない。純粋の共和政も亦同様で、稍大なる国家に在つては、総ての人民が一個所に集まつて自ら事を相談することは、是も実際に行ふべからざる所である。

 それであるから、近代の諸国に於ては、此の如き意味に於ての純粋の君主政体を取り、又は純粋の共和政体を取つて居る国は、寧ろ稀でありまして、君主政体の国であつても多少は共和政に近い要素を含んで居り、共和政体の国であつても多少は君主政の要素を含んで居るのであります。随て君主政体と共和政体とは互に相接近して、其の間の区別は必ずしも明瞭ならざるに至つたのであります。

 即ち共和政体の国でも、大統領といふものが有つて、其の大統領が稍君主に近い権力を有つて居るし、君主政体の国でも君主の外に国会が有つて、国政に与かるの権を有つて居り、其の点に於ては稍共和政に近い要素が含まれて居るのでありまして、其の間の区別は最早最も純粋の君主政と共和政との区別の如く、一人で国家権力の総てを掌握して居ると否とに、之を求めることは出来ないのであります。

 君主政と共和政との区別は此の如く必ずしも判明疑を容れぬものではないので、随て又其の区別の標準に付いては種々の異説が有るのであります。国に依つては其の国が君主政の国であるか又は共和政の国であるかに付てすらも、議論が甚だ分たれて居るものが少くない程で、例へば白耳義の如きは或は君主国であるといふ者も有り、或は民主国即ち共和国であるといふ者も有る。白耳義の憲法中には明に主権は国民に属すと書いてあつて、此の規定の有る為めに、其の民主国であることは明瞭であるとする者もありますが、実際は白耳義には国王が有つて、其の国王は他の君主国に於ける国王と同様の権力を有し同様の地位を有して居るのであるから、等しく君主国といふべきものとなして居る学者も有ります。

 独逸帝国の如きも或は共和国とする人も有り或は君主国とする人も有るし、英吉利も亦同様で、国王は唯名目上の主権者たるのみで、実際は国民が主権者であるとなして居る学者も少なくない。

 君主政体と共和政体との区別は此の如く決して或る一人が国家権力の総てを掌握して居るか否かに之を求めることは出来ぬのであります若し君主が一人で国家の総ての権力を掌握して居ることを君主政体の特色とするならば君主政体の国は今日の世界には殆ど全く無いと言はねばならぬ日本も亦少くとも政権が武門の手に帰してから以来は君主政体たることを失つたと言はねばならぬ結果となるのであります其の誤謬たることは言ふ迄も無い事で君主が一人で国家権力の全部を掌握することは決して君主政体の要素ではないのであります

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p26-32

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。 

『憲法講話』1-1 国家の性質 7.「主権」の語の3つの意味

『憲法講話』原文

 主権の三種の意義

 統治権の事を述ぶる序に、主権といふ語に付て一言して置きます。主権といふ語は、従来色々の意味に用ゐられて居りまして、往々混同を生ずるの虞があります。

 主権といふ語は、本来英語の「ソヴェレヌチー」といふ語を訳したので、「ソヴェレヌチー」といふのは、本来は「スプリームネッス」、即ち『最高』とか『至上』とかいふ意味であります。前に述べた通り、国家は最高の権力を有つて居るもので、即ち自分以上に自分を支配する権力の無いものでありますから、此の性質を現はすが為に、国家の権力は「ソヴェレン」である、「スプリーム」である、最高であるといふのであります、即ち主権といふことは最高権といふことの意味で、詳しく言へば、自己の意思に反して他より制限を受けざる力といふことであります

 然るに主権といふ語は、又一転して統治権といふ語と同じ意味に用ゐらるゝことが普通でありまして、通俗には統治権といふよりも、主権といふ方が広く行はれて居るやうであります。併ながら最高権といふことと統治権といふこととはまるで違つた意味で之を混同せぬやうに注意することが甚だ必要であります統治権といふのは人に命令し強制するの権利であり、最高権といふのは、他から命令せられない力をいふのであります。主権といふ語が、常に統治権と同じ意味に用ゐらるゝことは、現時の一般の慣例でありますから、強ひて之を排斥するにも及ばぬことでありますが、唯此の意味に於ての主権即ち統治権は、本来の意味に於ての主権即ち最高権といふこととは違つた意味であることを、忘れてはならぬのであります。

 主権といふ語は、更に又第三の違つた意味に用ゐらるることが、是も極めて普通であります。それは、国家内に於て最高の地位に在る機関の事を言ひ現はす為に用ゐらるゝ場合で、或は君主は主権者であると言つたり、或は主権は国民に属すと言つたりするやうなのを謂ふのであります。是も極めて普通に用ゐられて居る用例で、西洋の諸国の憲法には、憲法の明文の中に、主権は国民に属すとか、君主に属すとかいふことを規定して居るものも少なくないし、普通の日本語としても、君主が主権者であるといふことは、常に用ゐられて居る語であります。

 併ながら、此の意味に於ける主権は、前に述べた第一の意味又は第二の意味の主権とは、全く異つた意義に用ゐられて居るもので、此の場合の主権といふのは、唯国家内に於ける最高機関の地位を言ふのであります。

 前に述べた第一の意義の主権は、国家の権力其れ自身が最高であることを言ひ表はすのであるが、此の第三の意義に於ての主権は、国家内に於て何人が最高の地位に在るかを言ひ表はすもので、主権が国民に属すといふのは、国民が国家の最高機関であることを言ふのであり、君主が主権者であるといふのは、君主が国家内に於て最高の地位に在ることを言ふのであります。

 此の意味に於ての主権は、又第二の意味の主権即ち統治権といふ意味とも全く違つたもので、君主が主権者であるといふのは、決して君主が統治権の主体であるといふ意味ではない。統治権は国家の権利であつて、君主の権利でもなく国民の権利でもない、統治権は国家といふ全団体の共同目的を達するが為めに存する所の権利で、其の団体自身が統治権の主体と認むべきことは、当然であります。

 君主が主権者であるといふのは、唯君主が国家の最高機関であつて、国家内に於て最高の地位を有する者であることを意味するものと解すべきであります。主権者といふ語は、極めて普通な語でありますから、其の語を使用するのは、敢て差支は無いが、唯其の意味を正解することが必要で、決して統治権の主体といふ意味に解してはならぬのであります。

 国家の性質に付いての説明は、是位にして置いて、次に政体といふことに付いて、説明いたします。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p23-26

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。 

『憲法講話』1-1 国家の性質 6.国家は法人であり、統治権の主体である

『憲法講話』原文

 国家は法人なり

 法律上から見て、国家は一の法人であると申します。法人とは法律上の人といふことで、即ち法律上人と同一視せらるゝことを言ひ表はすのであります。前にも述べた通り、凡て団体は其れ自身に生存目的を有し活動力を有つて居るもので、此等の点に於て団体は恰も人間と同様の性質を有つて居るものであるから、法律上の見地に於ても団体其れ自身が恰も一個の人であるが如くに見做し、之を法人といふのであります。

 尤も総ての団体が皆当然に法人と看做さるゝといふのではなく、団体の内でも、其の結合が特に強固で、多少継続的の性質を有し、其の他人に及ぼす利害関係の広いものだけが、特に法人として保護せらるゝのであります。国家は総ての団体の中でも最も永続的な、其の関係の及ぼす所の最も広いものでありますから、勿論一の法人たる地位を有つて居るのであります。

 法律上に於て人といふのは、権利能力の主体といふことであります。即ち法律上に人の人たる所以、人が他の総ての者と区別せらるゝ所以は、其の権利能力を有することに在るのであります。権利能力といふのは、畢竟、自己の生存目的の為めにする活動力、又は自己の利益を達するが為めの意思力といふことで、即ち法律上に於て権利能力の主体といふのは、利益の主体たり、意思力の主体たることが、法律上に認められて居る者を謂ふのであります。団体が法人であるといふのは、即ち団体が自己の利益を有し、自己の意思力を有することを法律上に認められて居ることを謂ふので、約言すれば、団体が法律上の権利能力を有すといふことに帰するのであります。

 国家が一の法人であるといふのも亦之と同様に国家が権利能力を有することを意味するので国家は恰も其れ自身に一の人であるかの如くに権利能力を有し其の権利能力に基いて種々の権利を享有するのであります

 

 国家の権利の二大種類

 国家の享有する権利は、其の種類にいろいろありますが、大別すると二種類に分けることが出来ます。

 第一種は、国家のみならず、他の総ての法人でも又は一個人でも享有することの出来るもので、是は主として財産権であります。総ての法人又は一個人は、何れも財産を所有し之を処分することが出来ると同様に、国家も亦財産権の主体たることが出来ることは勿論であります。

 第二種は、国家に特有なる権利でありまして、即ち国内の総ての人民に対して命令強制を為し得るの権利であります。是は国家のみが享有して居る権利で、他の法人又は一個人は特に国家から附与せられた場合の外は、之を享有することの出来ぬものであります。地方自治団体であるとか、自治殖民地とかいふものは、何れも国家から此の権利を附与せられて居るものであります。此の国家の権利を称して、統治権といふのであります。

 要するに、国家の権利は総ての人の一般に享有することの出来る財産権と国家にのみ特有なる統治権此の二種類に分けることが出来るのでありまして前者は之を国家の私権と謂ひ後者は之を国家の公権と謂ふことが出来ます

 

 国家の統治権

 国家の統治権は、国家の最も大切なる権利で、之に依つて国家が国家としての生存を全うすることが出来るのであります。

 統治権とは、一口に申せば命令強制の権利といふことが出来ますが、今少し精密に申すならば、国家は其の統治権に基いて、第一には、一定の人民を自国の臣民と定め、其の臣民たる者を独占的に支配し、之に対して命令を為し其の命令を強制し、其の権利関係を定むることが出来ます、此の権利は通常之を対人高権と申します。約言すれば臣民たるべき資格要件を定め及び其の臣民を支配するの権利であります。

 第二には、一定の土地を自国の領土と定め、其の領土内に在る者は、自国の臣民であると、又は外国人であるとを問はず、凡て之を独占的に支配することが出来ます。此の権利を称して、領土高権と謂ひ、又は単に領土権と申します。約言すれば、自国の領土を定め及び領土内に於ける総ての者を支配するの権利であります。凡て新領土を取得するのは、領土権の拡張であります。

 最後に第三には、国家は其の統治権に基いて、自由に自国の政体を定め其の組織を定むることが出来ます。此の権利を称して組織高権と謂ふことが出来ます。対人高権、領土高権及び組織高権、此の三つを合せたものが、即ち国家の統治権であります。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p19-23

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。 

『憲法講話』1-1 国家の性質 5.国家の特色②

『憲法講話』原文

 最高権力を有せざるものは国家に非ず

 国家が他の地域団体即ち地方団体の類と区別せらるゝ所以は専ら此の最高の権力を有するの点に在る。他の地域団体は何れも国家の権力の下に服し国家に依つて制限せられて居るもので何れも最高権を有するものではなく、独り国家のみが此の性質を備へて居るのであります。市町村だの府県だのに付いては其の最高権を有するもので無いことは言ふ迄も無いが、其の他の地域団体に付いても何れも同様であります。

 例へば英国の殖民地の中でも、濠洲聨邦とか加奈陀とか南阿聨邦とかいふやうな所謂自治殖民地は、殆ど独立の国家と大差の無い組織を為して居つて、憲法を有し、国会を有し、内閣も有れば独立の裁判所も有るといふ有様でありますけれども、矢張り英国の権力の下に服して居るものであつて、最高の権力を有する者ではなく、随て国家たる性質を有するものではない。

 印度の如きも名義上は印度帝国と称し、英国の国王は其の公の称号としては、大貌利顚及愛爾蘭合衆王国国王並印度皇帝云々と称せらるゝのでありますけれども、印度は矢張り英国の権力の下に服して居るもので、等しく英国の一殖民地たるものに過ぎぬ、決して一国家たる性質を有するものではないのであります。

 

 聨邦各国の性質

 唯多少の疑の有るのは独逸帝国、米合衆国及瑞西聨邦の如き、所謂聨邦を組織して居る各国であります。此等は、何人も知つて居る通り、沢山の国が集まつて一の国家を組織して居るので、独逸帝国は普漏西を初め二十五箇国より成り立つて居り、合衆国は四十有余の諸国から作られて居り、瑞西も亦同様に多くの「カントン」から組織せられて居るのである。

 此等の聨邦を組織して居る各国は普通には矢張り国家の性質を備へて居るものとせられて居りますけれども、其の実は此等の各国は何れも帝国、合衆国等の中央権力の下に隷属して、之に依つて制限せられて居るもので、最高権を有するものではないのであります。随て若し前に述べた通り最高権を有することが国家の要素であるとするならば、此等の国は真の国家ではないと言はねばならぬ結果となるのであります。国家たる性質を有つて居るのは唯独逸帝国、米合衆国其れ自身で、之を組織して居る所の諸国は其の下に属して居る一種の地域団体たるに過ぎぬもので、独立の国家たる性質を有するものではないといふことになるのであります。

 斯ういふ考が果して正しいか何うかは、独逸に於て殊に激しい議論の有る問題で、独逸では多数の学者は、独逸帝国も一の国家であり、之を組織して居る普漏西其の他の聨邦各国も、亦各々一の国家であると、主張して居りまして、其の結果は、国家の権力は必ずしも常に最高であるとは限らないのものであるといふやうな主張を為して居る人が多いのであります。

 此の問題を詳論しますのは、余りに専門的に渉りますから、玆には略しますが、私は歴史的の因襲を離れて単に理論から申すならば、寧ろ聨邦各国は真に国家たる性質を有するものではないといふ方が正しいのではないかと考へて居ります。独逸の学者が、聨邦各国も亦各々一の国家であるとして居るのは、唯此等の国が歴史上嘗て独立の国家であつたといふ、歴史的の事実に制せられて居るのではないかと思ふのであります。

 其れは何れにしても、日本の国家の説明としては、国家は最高の権力を有する団体であるといふことが、正しい説であることは更に争を容れない所であります

 

 国家の定義

 国家の性質は略以上述べた通で、約言すれば、国家は最高の権力を有する領土団体なりと言ふことが出来ます。詳しく曰へば『国家は一定の土地を基礎とする団体にして自己の意思に基き自ら制限を加ふるの外他の者に依りて其の意思を制限せられざるの力を有するものなり』と、定義することが出来るのであります。

 

 国家の権力は無制限にあらず

 国家が最高の権力を有すといふことは、決して絶対無制限の権力を有すといふ意味ではない。普通に能く国家が絶対無限の権力を有つて居るといふことを言ふのは、甚だ間違で、前にも言ふ通り国家は一面には国際法の制限を受け一面には 国内法 の制限を受けて居るものであります。国家は唯此の制限内に於てのみ活動することが出来るのでありますが、唯此の制限は国家自身の意思に反して生ずるものではなく、国家が自ら加へる所の制限でありますから、国家が最高の権力を有すといふのであります。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p16-19

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。