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美濃部憲法学を読む

帝国憲法から日本国憲法まで、「日本の憲法」について考えるブログです。

『憲法講話』2(下)-1 天皇の国法上の地位 3.外国の君主との比較②

『憲法講話』原文

 其の他の大権

 以上の二点が最も著しい差異でありますが、其の以外にも尚種々の点に於て大権の範囲が広くせられてありまして、憲法第八条には緊急勅令の大権を認めて居り、憲法第九条には広い範囲に於て勅令を発する権を認めて居ります。

 憲法第十二条には陸海軍の編制及常備兵額は法律に依らないで勅令を以て定め得べきものとして居りますし、憲法十三条には条約の締結は全然天皇の大権に属するものとして全く議会の議決を要しないものとされて居ります。

 憲法第六十七条には憲法上の大権に基く既定の歳出は政府の同意がなければ議会で廃除削減することを得ないことが定めて居ります。又憲法第七十条には財政上緊急の必要があつたならば議会の議を経ないで臨時に財政上必要なる処分をすることが出来ると云ふことを定めて居ります。是等は皆外国にも全く例の無いことではありませぬけれども、君主の大権に重きを置いて居ります著しい点であります。

 それから又憲法第三十一条には戦時又は国家の事変の場合に於て特に天皇の大権に依つて法律の効力を停止する権力を認めて居ります、所謂非常大権と申すのか是であります。是等は何れも憲法上君主の大権が特に広く認められて居る主なる点であります。其の外尚詳しいことに付ては後に天皇の大権を申上げる時分に申さうと思ひます。

 

 欽定憲法

 人に依りますと右の外に尚日本の憲法天皇欽定憲法であるといふことに重きを置いて、憲法は欽定憲法であるから其の結果として当然憲法の解釈権及び憲法の改正権も専ら天皇に属して居ると言ふ人があります。

 けれども是は大なる間違でありまして、欽定憲法であると云ふことは唯憲法の制定が専ら勅旨に基いたといふ歴史的事実を示すのみであつて、其の解釈権又は改正権は決して欽定憲法であるといふことから当然生ずべき事柄ではない。それは一に憲法の規定に依つて定まるものであります。

 憲法の改正に付ては憲法中に特別の規定があつて、勅命に依つて議案を議会の議に付し、議会が議員の三分の二以上出席して三分の二以上の多数を以て之を決することになつて居ります。議会の議決が無ければ之を改正し又は増補することの出来ないのは勿論であります。憲法の解釈権に付ても同様でありまして、之は憲法の上に明文はありませぬけれども、専ら天皇の大権にのみ属するといふことはない。

 憲法の下に於ける国家の最高の意思は法律でありますから、法律の定むる所が憲法の最高の有権的解釈であると見るの外は無いのであります。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p71-73

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。 

『憲法講話』2(下)-1 天皇の国法上の地位 2.外国の君主との比較①

『憲法講話』原文

 外国の君主との比較

 日本の憲法の下に於ける天皇の国法上の地位を、外国殊に西洋諸国の君主の地位と相比較して、其の異なる主なる点を挙げますと、大体に於て天皇の大権が西洋諸国の君主の大権よりも著しく広いと云ふ点に帰するのであります。

 元来日本の政体の西洋の諸君主国の政体と異つて居る最も著しい点は、君主の国法上の地位に在るのではなく、寧ろ国民の忠君尊王の心が著しく深いこと、其の歴史上の基礎が遥に強固であると云ふ点に在るのでありまして、憲法の規定の差異は寧ろ末であります。それは決して政体の主要なる差異ではないのでありますが、併ながら君主の国法上の地位に付ても亦日本と外国との間には尠なからざる差異があるのであつて、日本の憲法に於ける君主の大権は外国の君主の大権に較べると、余程広くなつて居るのであります。

 

 憲法改正発案の大権

 其の広い点の主なるものを申しますと、第一には憲法改正の発案権が専ら天皇にのみ留保せられて居ることで、是が最も著しい点であります。是は外国の憲法には余り例の無いことで、外国の憲法では議会からも憲法改正の議案を提出し得ることになつて居るのが通例であります。

 単り日本の憲法に於ては、普通の法律ならば議会からも其の改正の議案を発することが出来るけれども、憲法の改正のみは専ら天皇の大命に依つて議案を発せられるので議会からは全く之を出すことが出来ぬのであります。是は憲法第七十三条に其の事の明文がありまして、『将来此ノ憲法ノ条項を改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ』と云ふことになつて居る。勅命に依つて議案を発せらるゝ外は、如何なる方法を以ても憲法改正を発案することが出来ぬのであります。

 是は現在の諸国には殆ど全く例の無いことで、日本の憲法に特有な点の一であります。唯バイエルン憲法憲法中特に君主の大権に関する条項に付いては、君主の命に依つてのみ発案することになつて居りますけれども、其の他の条項に就ては総て議会からも発案することを許して居ります。英吉利でも君主の大権に属する事柄は君主から発案すると云ふことに解されて居るといふことでありますけれども、それも君主の大権に関する事柄のみであります。憲法の総ての条項に付いて発案権を君主の大権にのみ留保して居るといふ例は、日本の外、外国の憲法には殆ど無いことと信じます。

 

 皇室法規制定の大権

 それから第二には皇室法規殊に皇室典範に付ては全く帝国議会の議に付せず専ら天皇の大権にのみ留保せられて居ること、是が第二の著しい点であります。皇室法規殊に皇室典範は単に皇室内部の家法ではなく、国政に関する国家の法規であります。殊に皇位継承の順序、摂政を置くべき場合といふやうな事柄に付ては、特に之を憲法の中から除いて皇室典範の中に規定されて居ります。

 此等の事は決して単に皇室のみに関する事柄ではなく、国政に関する最も重要なる法則の一つであることは言ふ迄も無いのでありますが、是は特に憲法の中から除いて皇室典範に規定し、而して其の皇室典範は議会の議に掛けないで、専ら天皇の大権に依つて之を改正することが出来る、議会は之に喙を容れることが出来ないと云ふことになつて居ります。是も外国の憲法と著しく違つて居る点であります。

 外国の憲法では、王室法でも国家の法規と関係ある事柄であるならば、矢張議会の議に依つて之を決することになつて居るのが通常で、議会の議決に依らず単に王室だけで定めることの出来るのは、唯純粋の王室法、即ち国家の政治に関係のない王室内部の事柄にのみ限るのであります。日本の皇室典範及び其の他の皇室法規が、縦令国家に関する事柄であつても、議会の議に掛けないことゝされて居るのは、是も日本の憲法の著しい一の特色であります。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p68-71

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

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『憲法講話』2(下)-1 天皇の国法上の地位 1.天皇は国家の最高機関である

『憲法講話』原文

 第二講(下)天皇(其の一)

                         

 一 天皇の国法上の地位

 

 天皇は国家の最高機関なり

 申す迄もなく、天皇は日本帝国の君主として、国家の総ての権力の最高の源泉たり、日本帝国の最高機関たる地位に在ますのであります。法律学上の問題として、天皇が国家の最高機関であるか、或は国家の機関ではなく天皇御自身が統治権の主体と見るべきものであるかと云ふことは、憲法学者の能く論ずる問題でありますが、是は純粋の法理論であつて、敢て玆に詳しく論ずる必要は無からうと思ひます。

 唯一言して置きたいのは、天皇が国家の最高機関であると申しても、決して天皇が最高の役人である最高の官吏であるといふのではない。君主と総ての官吏とは全く其の法律上の地位を異にして居るのでありまして、総ての官吏は皆君主から任命せられ、君主の委任を受けて政務に当るものであつて、皆君主の機関として元来君主に属する所の権力を行ふものに過ぎぬのであります。

 即ち官吏は直接には唯君主の機関であり、間接に国家の機関となるのであります。それであるから法律上の語で之を間接機関と謂ひます。君主は之れとは異つて何人の委任に依るのでもなく。其の固有の権利に基いて当然に皇位に即かせられるのであります。天皇の大権は国法上当然に天皇に属する大権であつて誰からも委任されたものではない。随て法律上の語に於て之を国家の直接機関と申すのであります。

 

 君主が統治権の主体なりとする説の誤謬

 君主が国家の機関であると申せば、チヨツト聞くと何だか吾々の尊王心を傷けられるやうな感じがいたすやうでありますが、是は国家が一の団体であるとすることから生ずる当然の結果であります。

 法律上の意味に於て君主が統治権の主体であると云ふのは、統治権が君主の一身上の権利として君主に属して居ることを意味するのでありますが、法律上或る権利を有すといふのは、其の権利が其の人の利益の為に存して居り、又其権利に基く行為は法律上其人の行為たる効力を有することを言ひ表はすのであつて、即ち君主が統治権の主体であると言へば、統治権が君主の御一身の利益の為に存する権利であり、又統治の行為は君主の一個人としての行為であるといふ意味に帰するのであります。

 併ながら君主が御一身の利益の為に統治権を行はせらるゝのであると言ふのは実に我が古来の歴史に反し我が国体に反するの甚しいものであります若し君主が統治権の主体であると解して即ち君主が御一身の利益の為に統治権保有し給ふものとするならば統治権は団体共同の目的の為に存するものではなく唯君主御自身の目的の為にのみ存するものとなつて君主と国民とは全く其の目的を異にするものとなり随て国家が一の団体であるとする思想と全く相容れないことになるのであります

 日本の古来の国家思想に於て殊に近代の国家思想に於て、統治権が全国家の共同目的の為に存するもので、租税を課するのも、軍備を起すのも、外国と戦争をするのも、領土を拡張するのも、常に全国家の利益を計り国利民福を達するが為にするものであつて、単に君主御一身の利益の為にするものではないことは、更に争を容れない所であります。統治の行為は又君主の御一身の行為として効力を有するものではなく、法律でも、勅令でも、条約でも皆国家の行為として効力を有するのであつて、それであるからこそ、此等の者は何れも君主の崩御に拘らず永久的の効力を有するのであります。

 国家が統治権の主体であつて、君主は国家の機関であるといふのは、唯此の思想を言ひ表はしたものに過ぎぬのであつて、我々の尊王心は毫も之に依つて傷けられないのみならず、却て益発揮せらるゝのであります。

 それであるから君主が統治権の主体であるといふのは法律論としては極めて誤つた考であると信じますが、それは余り専門的の法律論に渉ることでありまして、それは何れにしても、兎に角、帝国国権の最高の源が天皇に在るといふことは言ふまでもないことであります

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p65-68

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。 

『憲法講話』2(上) 帝国の政体 3.現代国家の特質②

『憲法講話』原文

 (二)立憲制度

 次に今日の国家の第二の特色としては、言ふ迄もなく立憲制度の施行を挙げねばならぬ。即ち維新前に於ける封建政治に反し又維新後憲法施行に至るまでの官僚的君主独裁政治に反して現在の日本の政体は立憲君主政体であります

 立憲政体といふ語は、本来は一定の政体を指す語ではなく、唯英国に於て先づ発達し、其の影響に因り、並に米国の独立及仏国の革命の影響に因つて、十九世紀以降漸次に世界の各文明国に普及するに至つた所の政体を呼称する語であります。随て立憲政体とは如何なる政体であるかと言へば、唯十九世紀以後世界文明国の共通の制度となるに至つた政体といふの外はないので、其の主義とする所は、之を概言することが困難でありますが、大体に於て凡そ三点に要約することが出来ると思ひます。

   第一 公民国家主義即ち階級制度の打破

   第二 民政主義即ち国民の参政権

   第三 法治主義即ち国民の自由の尊重

是であります。

 

 (イ)公民国家主義

 先づ第一の点から言へば、立憲制度は国民の階級制度に反対するものであつて、総ての国民が一定の法律上の資格に応じて平等に公民として国家の公務に就くことの出来るものたらしむることを要求するものであります。之を公民国家主義と謂ふことが出来ます。

 これは必ずしも立憲制度にのみ特有なものではなく、日本に於ても憲法施行前既に略々実行せられて居つた所である。維新前の旧日本に於ては人民は厳重なる階級の区別があつて、政権及び兵馬の権に与かることの出来るのは唯武士の階級のみに限られて、町人百姓は全く之に与かることを許なれなかつたのであります。

 維新以後に於ては此階級制度が全く打破せられて、四民平等何人でも其の才能に応じ其の資格に応じて政権に与かり兵役に就くこどが出来るやうになつた憲法第十九条に『日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均シク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得』と曰つて居るのは、即ち階級の区別なく、何人でも公務に就くことが出来るといふことを示したものであつて、即ち階級制度の禁止を言明したものに外ならぬのであります。

 

 (ロ)民政主義

 立憲制度の第二の特色は国民の参政権、即ち総ての国民に参政権が与へられたといふことにある。階級制度の打破は憲法制定前維新以後の改革に依つて既に実行せられた所であるが、此の第二の点即ち所謂民政主義は憲法の施行に依つて始めて行はれた所で、之に依つて始めて立憲政体となつたのであります。単に階級制度が打破されて国民が均しく公務に就くことが出来るといふばかりではなく、直接に国民全体に対して参政権を与へられたのであります。

 是迄は国民は唯被治者たるに止まつて、官吏となり又は其の他の公職に就いた者の外は、自ら国政に与かる者ではなかつたのでありましたが、憲政の下に於ける国民は被治者たると同時に又自ら治者の一員たるの地位を与へられたのであります。勿論国民が少しの例外も無く悉く政治に参与することが出来ると云ふのではないが、或る資格を有つて居る国民は、国民として自ら政治に与かることが出来るのである。

 従来は政治と言へば唯政府が之を行ふのであつて、国民は唯之に服従するばかりであつたのでありますが、今日は国家の政治は政府のみが行ふのではなくして、政府と倶に国民も之に与かるのである。政治の悪いのは政府のみが悪いのでなくして、国民も自ら其の責の幾分を負はねばならぬのである。国民は国会を通じて自ら政治に与かる者であつて、国会が政治に与かるのは即ち国民が政治に与かるのに外ならぬのであります。

 今日でも吾々日本人は多年の慣習上、動もすると政府にのみ依頼するの傾向が強いやうでありますが、是は全く立憲政治の趣意に反するものであります。苟も憲政治下の国民たる以上は、自ら治者の一人であることを自覚して、徒に政府にのみ依頼するの念を去つて、自ら国政に付て相当の見識を養ひ、政府を督励して以て国利民福を全うすることを勉めねばならぬのであります。憲政の施行を完うすることは、実に吾々国民の責任であります。徒に政府にのみ依頼するのは啻に憲政の趣意に反するのみならず、又畏くも参政権を与へ給うた 陛下の大御心にも違ふものと言はねばならぬと思ひます。

 

 (ハ)法治主義

 立憲制度の第三の特色は法治主義に在ります。法治主義は或は之を自由主義と謂ふことが出来る国民の自由を尊重し法律に依るに非ざれば国家の権力を以ても其の自由を侵すことの出来ないものとするの主義であります

 旧時代に於ても人民は必ずしも全く自由を享有しなかつたものではないが、乍併其の自由の範囲は唯官憲の擅断に任かされて居つたので、役人達の任意の職権に依つて人民に命令し之に義務を課することが出来、人民は之に対しては唯服従するの外は無かつたのである。

 立憲政治の下に於ては、之に反して、官憲の擅断に依つて人民に命令することを許さないで、人民に命令し之に義務を負はしむるには、必ず法律に依らなければならぬ。予め法律を以て定められた場合でなければ、人民の自由を制限することを許さないのであつて、而して其の法律は人民の代表者たる国会の同意を得ることが必要である。

 換言すれは人民が国家の命令に服するのは、唯其の代表者たる国会を通じで、自ら之に同意した場合に限るといふことが、即ち法治主義の要点とする所であります。

 今日の国家と旧時代の国家とを比較して、其の政体の異つた点を求めますれば、単に以上述べた所に止まらず、尚数多の点を挙げなければならぬのでありますが、其の最も著しい根本的の差異は以上の諸点に在ることゝ信じます。

 

 是より進んで帝国憲法の第一章即ち天皇の章に就いて御話をしようと思ひます。先づ大体に付て天皇の国法上の地位を述べ、次に天皇の大権及び天皇の不可侵権に付て述べ、終に皇位の継承を説明しようと思ひます。

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p59-64

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。 

『憲法講話』2(上) 帝国の政体 2.現代国家の特質①

『憲法講話』原文

 現代国家の特質

 以上の如き変化を経て今日の状態となつたのでありますが、此の今日の日本の国家と維新前の日本の国家とを較べて見ますと、其の国家組織に極めて重大なる変化を生じて居ると云ふことは言ふ迄もないことであります。其の変化の殊に著しいものを挙げると、

 

 (一)国家及統治権の統一

 第一には国家の統一及び之に伴ふ統治権の統一。是が最も著しい最も根本的な変化であります。維新前に於ても国家の統一が全く失はれて居つたのではありませぬけれども、種々の事情の為めに其の統一が著しく妨げられて居つたのであります。

 其の統一を妨げた原因としましては、第一には朝廷と幕府の対立と云ふことがあつた。今日は国家の権力が総て中央政府に統一せられて居りますけれども、維新前に於ては先づ朝廷と幕府と二つの権力者があつて相対立して居り、それに依つて権力の統一が大に妨げられて居つたのである。政治の実権は略幕府が之を掌握して居つたのであるけれども、尚例へば外交の如き特に重大なる事柄に付いては、朝廷の御許しを得なければ之をなすことが出来ないと云ふやうな状態であつた。之を朝廷と幕府との両頭政治であるといふのは余りに極端で、事の真相を得たものと言ふことは出来ませぬが、少くとも此の如く権力の源が二つに分かれて居つたことは、国家の統一を妨げることが少くなかつたことは殆ど言ふを待たざることと思ひます。

 之に加ふるに、尚第二には沢山の大名があつた。大名は幕府の権力の下に服従はして居りましたけれども、自分の領内に於ては殆ど小国家の如き有様を為して居つて、領内の人民に対しては恰も専制的の君主の如く、領内の政治は各藩殆ど独立に之を行つて居つたのであります。外交は幕府で統一して居つたけれども、其の他の政治は殆ど凡て各藩自由に之を行つて居たのであつて、各藩主は軍備を起し、租税を取り立て、刑罰を課し、争訟を裁決するといふやうに、立法、司法、行政及軍備の凡ての権力を行つたのであります。

 此の如き有様であつたのが、維新以後の改革に依つて全く一変した。先づ第一に徳川氏の政権奉還に依つて朝廷と幕府との対立が除かれ第二に版籍奉還及廃藩置県の挙に依つて各大名の権力が除かれた。大名が各藩に於て勝手に自分の政治を行つて居つたのが全く廃されて、全国民は均しく中央権力の下に統一さるゝことになつたのであります。

 維新前に於ても統治権の最高の源は常に天皇に在つたことは前に申した通りでありますが、此の統治権天皇が親ら之を行はせられたのではなく、其の大部分は之を幕府に委任せられて居つて、而して幕府自身も其の委任せられて居る統治権の全部を自ら行うたのではなく、其の大部分は之を各大名に附与して大名をして任意に統治を行ふことを得せしめたのであります。

 今日は之に反して統治権の全部が中央政府に統一せられて居るのであります。今日でも勿論天皇の下に多くの官吏があつて天皇の御委任を受けて統治権の一部を行つては居りますけれども、此等は皆天皇随意の任命に係るものであります。将軍及各大名は此等の官吏とは異つて、世襲の権利に基いて其の地位に就いたのであつて、形式上は任命を行はれたとしても、其れは唯形式に止まり、実際は血統に基いて統治の権利を世襲したのである。

 其の統治の権利は又常に土地の領有権と相伴うて居たもので、各大名は一定の土地を自分の領地となし、其の領地内に於て統治の権利を行つて居たのであります。斯く大名が土地を領有すると共に其の領有権に伴うて又統治の権利を有つて居たことは、実に封建制度の著しい特色でありまして、即ち、今日の言葉を以て申せば、各藩主が其の藩内に於て一種の領土権を有つて居り藩内の人民は藩主の臣民であつたのであります

 今日は之に反して領土は凡て国家の領土であり人民は凡て国家の臣民であつて一個人の領土といふものはなく又一個人の臣民といふべきものはない。唯今日も自治団体を認めて、各府県、各郡、各市町村は各自治団体として其の区域内に於て自治の権力有することを認められて居りますけれども、是は地方人民の全体から成り立つて居る公共団体に此の権利が特許せられて居るのであつて、昔のやうに一個人が領土権を有つて居つたのとは全く趣を異にして居るものであります。今日は一個人の私権としては唯土地の所有権を享有することを許して居るばかりで此の所有権から人民を統治するの権利を生ずることは決して許さないのであります是が封建制度と今日の制度との異つて居る最も主要の点であります

 封建制度の下に於ては斯の如く統治権が朝廷と幕府、幕府と各藩といふやうに分裂せられて居つた結果として、国家の統一即ち国家が統一的の団体であるといふ思想が比較的甚だ弱かつたのであります。国家が一の団体であるといふのは、君主も将軍も大名も、武士も町人百姓も、何れも皆一致協力して或る共同目的の為に働いて居るものであるといふことを言ふのであつて、此等の総ての者即ち国民全体が皆共同目的を有すといふのでなければ、其の全体を以て一の団体を為すものと言ふことは出来ないのであります。

 封建制度の下に於ても此の如き団体的自覚は決して全く存在しなかつたのではありませぬ、殊に一旦外交上の患が起つて来ると、其の団体的自覚が全国民の間に極めて強く見はれたことは、歴史上の著しい事実でありますけれども、日本が外国との交際を絶ち、厳重に鎖国主義を守つて、外交上の刺激が全く無かつた時代には、此の団体的自覚は極めて薄弱で、動もすれば国家の統一が疑はれるやうな状態を来たすことも稀では無かつたのであります。

 或は皇位其れ自身すらも、南北朝に分かれて、国家の統一が将に失はれんとした事もあり、或は戦国時代の如く群雄各地方に割拠して一国内に於て互いに相戦ひ、殆ど日本国内に多数の小独立国を見るが如き有様に在つたこともあります。徳川氏が天下を平定して江戸幕府を開いてから後も、尚今日の如く国家全体が一の団体であるといふやうな自覚は充分に発達して居つたものといふことは出来ないのであります。

 今日は之に反して国家は全国民の共同団体であるといふ思想は国民の明に自覚する所でありましで政府が国民から税を取り立てるのも国会が法律に協賛し予算を議決するのも国民が議員を選挙し兵役義務を尽くすのも何れも此の国家といふ共同団体の共同目的を達する為にするものであるといふことは総ての国民の自覚して居る所であります

 

 

 ※美濃部達吉憲法講話』(大正7年)p54-59

  古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。

  本文中の傍点は、「﹅」を太字、「○」を青字、「●」を赤字で表した。